「慰安婦」―現在にも尾を引く言葉の責任
ここで、少し横道に逸れるが、「慰安婦」と言う言葉そのものの罪について述べたいと思う。
「慰安婦」「慰安所」が問題になっている。そのことについて、日本は海外から、謝罪していないと責められ、日本は「謝罪しているし、補償もしている」と反論する。
ところで、私は、そもそも「慰安婦」「慰安所」という名前の付け方自体が、本質から目を背けさせ、認識を曇らせる働きをしていると思う。〈慰安〉とは、文字通り、(安らぎ、慰め)という美しい意味をもつ言葉なのだ。歴史を知らない若者が「慰安婦」と聞けば、美しい母親のようなやさしい女性を想像してもおかしくはない。
しかし、その内実は組織的な強姦所だったわけである。その凄惨、陰惨で痛ましいイメージを言葉がシャットアウトするから、海外からの批難に対して、「日本だけ何故責められるのか」と堂々と反論し、「戦争しているどこの国にもあった」「発言、どこが悪いのか」ということが言えるのだと思う。<戦争中、他の国もやった悪いことを、日本人もやった>それだけのことではないか。何故、今現在は何もわるいことなどしていない我々日本人だけが責められなければならないのか、という理屈から、外国の批難に反論している。<皆がやったのに、他の人は責められず、自分だけ責められるのはおかしい>という理屈は一部の人に支持された。
しかし、私は、この反論にも違和感を覚えた。つまり、大多数の日本人は、日本人がやったことについて、知らないだろうと。教えられる機会はなかった。かろうじて、戦中世代の私の母が「日本の恥だから、皆知っていても語らないのだ」と、密かに語ってくれたことと、また、大学で武田泰淳を専攻し、戦争文学と関連書籍を集中的に読んだことで、初めて漠然とそのイメージを持つことができたのだ。
あまりに凄惨で、ここに引用することも出来ないが、戦争を語るのであれば、その前に、泰淳が描いた兵隊たちの姿―前掲の「勝負」「悪らしきもの」「汝の母を」前後の作品を読んでおくべきだと思う。
日本には、原爆ドームや原爆資料館で、原爆の被害の痛ましさは教える。また、兵士たちの「労苦」を残そうと、西新宿に「平和祈念展示資料室」がある。そこでは、シベリヤ抑留がどれほどつらい、非人道的な体験であったか、人形を使い立体的に再現している。いわば、被害者の立場で、戦争を伝えている。
では、日本軍が設置した「慰安所」と言う名の強姦施設は、どのようなものだったのだろうか?どんな風に女性が集められたのか。どういう風に女性が扱われたのか、私は、同じように再現するべきではないかと思う。今さらのように、証拠はあるのですか、などと政治家が言うのは、まさに「無知」の罪ではないか。知ろうとすれば、多くの作品、多くの証言がすぐそばにあるのだから。
それにつけても、私は、かつて子どもの頃に見た、ドイツのナチス展を思い出す。ドイツは、ナチスがやったことを、自らも認め、世界に知らせた。人間の皮膚を加工して作ったランプシェード、髪の毛で作ったロープ、油で作った石鹸・・・・その時の衝撃は忘れられない。いかに人間がひどいことをするのか、思い知らされた。そして、ドイツは、絶対にそこに加担した人を許さなかった。80歳を越えて逃げ伸びた元兵士も、追いかけ、逮捕していく。否定するとはそういうことだと思う。
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